今日は少し、北里グラウンドへの想いを書きたいと思う。
北里グラウンドとは呼んでいたものの、お世辞にもグラウンドとは言えないような広さだった。ホームページにも「練習場」と書いていたくらいだ。それでも、中島コーチはあの場所が大好きだったし、毎回北里に集合して、解散することができた日々は忘れないと思う。
そんな愛する「北里」は中島コーチが中学2年の夏に完成した。初めはグラウンドの真ん中に水道があったりして、平らにするのが大変だった。みんなでタイヤ押しをして少しずつならしたのを覚えている。
ちなみにこの「笑獅子」の表札?のようなものは、中島コーチがデコボコだった北里グラウンドを整備している時に土から掘り返したものだ。「カッコよくね?」なんて言いながら当時の仲間とバスのフロントに置いておいたら、いつの間にかチームの守り神のようになっていた。
あそこで永遠に走ったし、時代が平成だったこともあってバチバチに殴られた。
途中で、今はバイク屋になっている青いテントが室内練習場になった。わずか1年足らずで返すことになってしまったけど。。。あのマイクロバスで遠征から帰ってくると、そこから1時間以上かかる”ダウン”がはじまる。今思えばあれはダウンどころかアップ、いやトレーニングに違いなかった。
末石コーチや佑輔コーチも同じような環境の中、北里に育ててもらった。あそこは僕たちにとって、 いわば戦場だ。そして、大切な帰る場所でもあった。
そんな北里が再び更地になっているのを見ると、なんだか切ない気持ちになる。それでも、今の相模原ボーイズには新しい麻溝台グラウンドがある。
歴代の先輩たちがその時その時のグラウンドを育ててきたように、今度はみんなが麻溝台グラウンドを育てていく番だ。麻溝台グラウンドは僕たちの大切な帰る場所になる。
そこで、忘れないで欲しいのが感謝。
人間とは恐ろしいもので、今はこんなにありがたいと思っている麻溝台グラウンドもいつの間にか当たり前になる。
それでも、あの頃を…すなわち、グラウンド移転があった2022年の秋の終わりを思い出せば、そのありがたみを感じることができる。
グラウンドがあることは当たり前じゃない。
野球ができることは当たり前じゃない。
絶対に忘れてはいけないものは確実にある。
トイレはきれいに、石を見つけたらポケットにしまい、雑草があったらその場で抜き取ろう。ネットが破けていたら指導者に報告しよう。すぐに補修する。
いつまでもこの環境への感謝を忘れずに、今よりももっと強くなりたい。
10年後、さらに強くなった相模原ボーイズにはたくさんの選手が集まっている。その子たちに、同じような話をすると思う。
「君たちの先輩、35・36・37期生が頑張って砂を運んで平らにしたグラウンドだ。石が落ちていたら拾って、使ったところは足でならして、大切に使おう」
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